お久しぶりです。岩っちです。
今回はかの有名なバブル崩壊についてです。
バブルがブクブク膨らみ、経済の実態とは関係なく、上っ面の経済がどんどん活性化していきました。日本の景気はみるみる良くなり、日本国民の資産が増えたことで、気が大きくなり、消費行動が活発になりました。すると、物価もどんどん上昇しました。
日銀はこのあたりでブレーキをかけなければまずいと考え、公定歩合を引き上げようと検討します。公定歩合を引き上げて、銀行からお金を借りる時の金利が高くなれば、土地を買い占めるという動きも収まるのではと考えました。
そんな矢先のバブル絶頂の1987年10月19日(月)ニューヨーク株式市場が大暴落しました。
その日が月曜だったことからブラックマンデーと呼ばれました。
日銀は困ってしまい、ここで金利を引き上げてしまうと、資金がアメリカから日本に流れ込んで、アメリカの株価がどんどん下落してしまいます。
アメリカは株価が下がる様なことはするなと日本に対して圧力をかけてきます。
アメリカのいうことをすぐ聞いてしまう日本は、金利を上げることができなくなりました。
低金利の状態がズルズルと続いてしまい、ますますバブルはブクブクと拡大しました。
この時のドイツは、アメリカが何と言おうと関係ないという姿勢を示し、金利を上げました。その結果景気の過熱を抑えることができ、バブルが膨れ上がるのを阻止できました。
日本はアメリカに遠慮してしまったがために、金利を上げることができずに、物価の高騰がより一層激しくなりました。
そこで当時の大蔵省(現在の財務省と金融庁)は何とか土地の値段にブレーキをかけなければと行動を起こします。
金融機関の不動産向けの融資の伸び率を、総貸し出しの伸び率以下に抑えることを軸にした行政指導である、総量規制を行いました。
それと同時に、とにかく土地を大量に持っていれば儲かるという状態を改めなければならないということで、地価税という新しい税制度を導入しました。
これにより、土地の相続税評価額0.3%の税金をかけることになりました。
日銀もようやく重い腰を上げ、やっと公定歩合を引き上げることにしました。
1989年5月からわずか1年3ケ月の間に5回も金利を引き上げ、2.5%だった金利は1990年にかけて6%にまで引き上げられました。
こうして、銀行からお金を借りて土地を購入する不動産業者は急激に減りました。
企業も銀行から土地を購入するお金を借りられなくなったので、土地の売買をやめます。
ある日突然土地がバッタリ売れなくなしました。。。
土地の値段が大暴落します。必ず上がると思っていた日本の地価が突然大暴落し、土地神話が崩壊しました。
銀行は貸したお金を返してもらえなくなり、不良債権の山を築くことになってしまいました。バブル崩壊直後の1992年の時点で8兆円だった銀行の不良債権額は10年で52兆円にまで大きくなってしまいました。
1997年11月に大手の証券会社や銀行が次々に破綻してしまいました。
日本中のお金の流れが止まり、あっという間に日本経済は行き詰りました。
日本経済はバブルから一転して、消費が止まり、銀行が潰れ、銀行からお金を借りられなくなり、株を売り払う。その結果日経平均株価は大暴落します。
そして日本はデフレに突入し、長い低迷期を彷徨うことになります。
では、また次回!!