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第2話:お金の起源

岩っちBLOG
2020.09.27

お久しぶりです。岩っちです。

 

今回は自分の思い出と照らし合わせて、お金の起源のお話をします。

 

小学生になる以前は小遣いがなかったので、

欲しいものがあれば親に自身の可愛さを精一杯アピールして買ってもらうか、

兄貴がすでに所有しているものであれば交渉して譲ってもらうかしないと手に入れることは出来ませんでした。

 

兄貴には弟に対しての優しさが欠如しているので、

兄貴がすでに所有しているものを交渉して譲ってもらうには

自分の大切なおもちゃを差し出すことでしか手に入れることは出来ませんでした。

 

ただ一筋縄ではいかず、交渉すると何故か1番目と2番目に大切なおもちゃを持っていかれます。

自分としては2番目以降のおもちゃで交渉するのですが、決まって1番目も何故か持っていかれます。

自分としては欲しいものを手に入れているはずなのに、何故か毎回泣いていました。

 

お金が発明される以前は何かを手に入れる場合、

自分自身で探したり、作ったりして手に入れるます。

 

また、他の人が既に所有しているものであれば、

お金以外のもので譲ってもらえるように交渉する必要があり、

物々交換が主流だったと言われています。

 

実際、物々交換は難しく、その物の価値観は人それぞれになるので、

こちらが交渉として提案するものが、相手が必要としないものであると成立しないことが多々あります。

魚を沢山釣ったけど、肉も食べたいと思った時、

肉を余分に持っているけど魚を食べたいと思っている人がいないと成立しません。

 

その解決策として、とりあえず皆が欲しいと思える何かに交換しておくと、いつでも交換しやすくなります。

 

日本の場合は「お米」と「布」でした。

現代でも日本の主食はお米です。誰もが口にするものなので、皆が欲しいと思えるものでした。

お米は稲です。稲のことを当時は「ネ」と呼んでいたと言われており、やがて値段の「ネ」の語源になったと言われています。

 

布は切ったり貼ったりすることで、着るものや袋などに使うことが出来き、皆が欲しいと思えるものでした。

紙幣の「幣」という字は布という意味です。

自分の生活に必要になるもの以上のものを一旦「お米」と「布」に交換することで、

市場で誰かこれを肉に代えてくれないかと尋ねると、交換しやすくなります。

こういったことから「もの」と「もの」を仲介するものが生まれました。

 

中国では珍しい貝殻である「子安貝」が使われていました。とても綺麗な貝殻なので皆が欲しがりました。

そのため、漢字でお金に関する文字には「貝」という字が使われました。

貨幣の「貨」には貝が含まれます。購買の2つの漢字には貝が含まれます。

「売」という文字は「賈」とういう文字の略字です。「賈」には貝が含まれます。

 

古代ローマでは兵士に支払われる給料は「塩」だったと言われています。

当時、塩は貴重とされ、多くの料理に利用できることから、いつでも交換できました。

ラテン語では塩のことを「サラリウム」と言います。それが英語の「サラリー」の語源と言われています。

 

人々の生活に金属が使われるようになると、「金」「銀」「銅」が使われるようになりました。

手に入りづらく、熱することで溶けるので加工しやすいことから、通貨・お金として使われるようになりました。

日本でも大判・小判が金で作られているのは有名です。

 

使われ始めた時は問題なかったのですが、大規模な商取引には不向きで、

金貨・銀貨・銅貨を持っていくのは重くて、盗難の心配もあり危険でした。

そのため、金貨・銀貨・銅貨を一旦、沢山持っているお金持ちのところに預かってもらいます。

すると、お金持ちは「確かに預かりました」と預かり証を渡します。

この預かり証でいつでも金貨・銀貨・銅貨に交換してもらえます。

預かり証が金貨・銀貨・銅貨と同等の価値を持つようになったので、

交換しなくても買い物に使える様にしようということで、預かり証が紙幣になりました。

 

 

岩っち少年にも兄貴との間に仲介できるものがあれば、

無駄に大切なおもちゃを何個も搾取されることもなかったのかと思います。

因みに、搾取されたおもちゃのほとんどは最終的にエアガンの的にされてしまいました。。。

 

次回は紙幣についてお話しする予定です!