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【第13話:ユーロについて】

岩っちBLOG
2022.07.27

お久しぶりです!

岩っちです!

 

今回はユーロについてです。

 

お金は各国で独自の貨幣が使われ、国内の経済を回すものでありますが、

なぜ?どの様にして?ヨーロッパは通貨を統合したのでしょうか?

 

 

第二次世界大戦後、ヨーロッパの

フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ドイツの6ヵ国は

アメリカとの経済格差を埋める目的で1957年に欧州経済共同体(EEC)を創設しました。

 

これによりヨーロッパ内で自由な資本移動や市場統合を目指しました。しかし、この段階では通貨統合の動きは特にありませんでした。

 

 

アメリカ経済は戦後に異常ともいえるほど優位性が高かったのですが、1970年には低下していきました。この米ドル不安を契機として、ヨーロッパ経済をドル本位制から脱却させるために通貨統合を目指す「ウェルナー報告書」が発表されました。

この報告書では、資本移動の完全な自由化と金融市場の統合を実現するために、経済調整と為替変動幅の縮小を段階的に図っていく事が提案されました。

しかし、1971年の「ニクソンショック」と1972年の「オイルショック」のために、この計画は頓挫することになりました。

 

 

そして数年後、ヨーロッパ各国では不況とインフレが併存する状態になっていきました。

ドイツとフランスを中心として、為替相場の安定化と安定的な通貨圏を作る為に、1979年に欧州通貨制度が創設されました。これにより、今日のユーロの原型となる欧州通貨単位(ECU)が導入されることになりました。

 

 

ヨーロッパの国家間で欧州通貨制度を運用するにあたり、経済通貨同盟だけではなく経済同盟が必要であるとした「ドロール報告書」が発表されました。

この報告書では

第一段階として、市場統合の促進

第二段階として、欧州中央銀行の創設

第三段階として、単一通貨(通貨統合)の導入

と単一通貨導入までのスケジュールが提案されました。

 

ドロール報告書に従って、第一段階である各国の市場統合が行われました。

 

そして、1992年に欧州連合(EU)が創設されました。

 

単一通貨の創設と政治での政府間協力を支えるために、

「欧州共同体」、「共通外交・安全保障政策」、「警察・刑事司法協力」の

3つの柱を規定するマーストリヒト条約が締結されました。

 

この条約の発効により第二段階に移行し、欧州中央銀行の前身である欧州通貨機構が設立されました。

 

 

1999年になるといよいよ単一通貨が導入されます。

この単一通貨が「ユーロ」です。

当初は11か国で導入され、単一通貨政策が欧州中央銀行の下で行われることになりました。

 

ちなみに、それまで各国で使用されていた通貨については、3年の移行期間を経て廃止されています。

 

現在は欧州連合27か国のうち19か国で導入されるまでになりました。

 

 

ユーロ紙幣は様々な人種・民族が使用するので、特定の人物の肖像を使うことを避け、各時代を代表する建造物の絵が描かれています。

いずれも表には窓を、裏には橋が描かれており、国同士の開かれた関係や相互の交流を象徴しています。

 

このユーロの導入によって、従来は共同体内部に存在していた為替相場リスクや、そのリスクヘッジのために企業が負担するコストが低減されました。そして、ヨーロッパの企業は巨大な経済圏で活動するという利益を享受し、商品、サービス、資本、労働力は自由に移動が可能になり、経済成長をもたらせました。

 

 

このユーロ導入というヨーロッパの経済政策は良い側面だけではなく、悪い側面も多分にあり、ニュースでも度々問題として挙がっているのが現状ですが、その詳細はまたの機会にします。

 

 

ユーロ導入は岩っち少年が大学生時代に大きな話題となりました。

その時は、なんの関心もなく、「通貨が統合されたんだぁ~。へぇ~。」としか思っていませんでしたが、こうしてお金の歴史を紐解くと、国をまたいで同じ通貨でやり取りすることは大変珍しいことでした。

そして、お金や経済の性質を理解する上でも、大変重要な政策だったと思います。

 

 

現在、グローバル社会でインターネットで瞬時に世界と繋がることが可能な世の中で、電子マネーの普及や仮想通貨が騒がれています。世界単一通貨なんてものがいつ現れてもおかしくないのかもしれませんね。

 

ではまた!!!